障害を持ってから受けた親切は大半がお門違い
私は片麻痺の障害を負ってまもなく7年になりますが、この7 年間で受けた配慮のほとんどが痒いところに手が届かない物でした。というかそうじゃないんよと思うことガスなってなくなかったです。
普通に接して欲しいの真意がここにある
障害持ちの人からよく「普通に接して欲しい」という話を聞かないでしょうか。
これの要因は、痒いところに手が届かないから、余計なことをせずに、伝えたことウェおやって欲しいという期待がふくまれていると思います。
結論、どうしたいか、どうしてほしいかは当事者しかわからない
「なぜ他の人は当事者を理解できないのか?」でも書きましたが、基本的には最終どうしたいかはその人しかわかりません。色々と考えてくれるのは有難いのですが、方向が違っていたりするとめんどうなので、決めつけての行動はなるべく控えてもらえるお僕は有難いです。
当人以上の知識や経験がある自信がある方のみ気を遣ってください
では、気を遣ってくれてありがとうと思う方はどのような人か?自分の過去を振り返ってみると、日頃から当事者と接しているヘルパーの方や、当たり前ですが、病院のスタッフの方々です。
あれらには圧倒的な経験値と知識で本当に当人のサポートをするにはどうかを考えて動いてくれる方が多い印象です。
よく考えればわかること
オブラートに包まず言うと当事者の状態だったらどうするのが好ましいかはよく考えればわかるはずなんですが、「日頃健常者と接していて思うこと。」で書いたように「当たり前ですが、人は当たり前のことは当たり前に行い、それは生涯当たり前であり続けます。それゆえに、そうでない時のことは1ミリも考えません。」なので、想像が弱いことが多いです。そして、それを自覚している人がとても少ないのも事実です。
わからなければ、決めつけて行動せず本人に聞いて欲しいです
とにかく、気の使い方がわからない、何を手伝えば良いかわからない場合は本人に聞くようにしてください。1番困るのは決めつけて行動されることです。
コメントを残す