中途障害を負ってみて思うこと


どうも!!秋らしい気温に過ごしやすいと思っていたら、意外に雨が多くて萎えている横山です。
#雨ってだけで気分が落ちる。
#そもそもで言うと、リハビリ散歩に行くことができない。

 

 

中途障害になって思うこと

先天性の障害を持つ人でも、健常者でもなく、中途障がい者だからこそわかった気づきがあります。主に二つです。
一つは誰でもわかると思いますが
①不自由であるということ
もう一つは
②世の中が健常者向けに作られているということ

周りの優しさが偏見や生きづらさに繋がっているという側面も絶対にあると思う
健常者向けに作られている世の中はとても、生きにくいです。
極端に例えると、ある日急に自分の性別が変わってしまうようなイメージです。
今まで使っていたものが全て変わり、
やらなければならないことも変わり、
考えなければならないことも変わり、
自分向けではないという四面楚歌状態になります。
そんな中、優しい人たちはそれをなんとかしようと動いてくれたりします。
とてもありがたいことです。
しかしそこには実は問題があります。
それは、「問題の解決にあたる人が当事者ではない」ということです。
考えて見ればわかることですが、
今の世の中の多くのものは健常者が考えた、
健常者向けのものだらけです。
つまり、当人が当人に向けて作ったものです。
当たり前ですが、満足度が高いです。
「問題の解決にあたる人が当事者ではない」ことが、
この満足度に大きく影響を与えており、
なんなら、マイナスになることさえあります。
マナスとは何か?
当人ではない誰かが思いやりとして決めるけることがマイナスに繋がります。
当人ではない人の決めつけなので、
実はやめて欲しかったりたりすることが、
当たり前にそうなっていない場合があります。
難しいのが、悪意があっての決めつけであれば、
指摘がしやすいのですが、
優しさや気遣いの場合がほとんどなので、
修正されることなく、
まかり通っている場合が多いです。
例えばの例で言うと、私は歩行が不自由なので、
周りの人が気を利かせて歩行ペースを合わせてくれたり転倒ケアをしようとしてくれたりしますが、
過去転倒したことはないし(伝えても念のためと言われてしまう。)、
転倒しない歩行のためにはリラックスして歩くことが何より大事ですが、
自分に合わせて待ってくれている人が近くにいることで、
無意識に急ごうとしてしまい、
リラックスしきれないなどということが頻繁に起きます。
もちろんこの時、目的地だけ共有して、「先に行ってください」と言いますが
気遣いなのかなんなのか、言った通りにしてくれない場合が多々あります。
当人からするとそれは困るんです。
これは言葉の通り本当に氷山の一角だと思います。

最近思う、周りの「本人を無視した気遣い」が間違った方向へ促しているのではないか?と言うこと。
なぜ間違った方向かと言うと、上記のような場合が少なくないからです。 
私あ個人的に、これを遠慮して伝えないではなく、伝える様にしています。

自分で言うのも恥ずかしいが、SELECTORの様な当人が運営するショップは貴重だと思う。

困っている人の状況を変えるには、困っている人になることが何より重要だと私は思います。SELECTORはそういう意味でも片麻痺のとにとってはその存在価値は重要だと思います。


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