どうも!!家の洗濯機の調子が悪くて調べると排水原因っぽいので、水道屋さんをよんだら、結構大掛かりなことになっていて、請求金額にビクビクしている横山です。
#手が届かない所のことは値切るに値切れない
#洗濯機使えないって結構困るよ・・・。
さて、本日はメンタル系の話です。
突然の中途障害を負った私が日常、健常者に対して思うことについて書きたいと思います。
正直ずーっと言語化することができずにいた内容です。
日々暮らしていて、どこか心がモヤモヤしている
これは何なんだろう??
ずっと考えていました。答えは「健常者の当たり前と戦っている」ということでした。
当たり前ですが、人は当たり前のことは当たり前に行い、それは生涯当たり前であり続けます。それゆえに、そうでない時のことは1ミリも考えません。
「その90%以上の人々が考えないことを考えなければならないストレス」、「それをわかってもらえないストレス」がモヤモヤにつながっているのかもしれないと思いました。正しい言語化かどうかはわかりませんが私はこう思います。
そしてこの問題の厄介なところは、誰も悪くないということです。
考えなければならない側も、考える必要がない側も、どちらも何も悪くありません。
かといって、当たり前がなくなった側は、なんとかできるならしたいぐらいの苦しみと日々闘っているので、それあらの苦しみを押し殺して死活するしかありません。
「上まで手を伸ばせるようになった→麻痺が治った」と思われてしまう。力の調節が出来ないという部分はなかなか分かってもらえないです。感覚の違いは難しいですね。
コメントを残す