どうも!
多くの当事者の方と接していると男女問わず、ぽっちゃり〜肥満の人が多いなと薄々勘付いている横山です。
#肥満で良いことはないよ。
#できるなら痩せよう!
#痩せるのってむずかしいよね。
#自業自得と言われたら、ほぼ論破される。
さて、今回当事者ならめちゃくちゃ共感してもらえるであろう内容です。
セラピストや当事者の周りの人には耳が痛い話かもしれません。
逆に言えば、そう思っているのね。と勉強になるかもしれません。
あくまで一人の片麻痺(障害者)としての意見です。
身近にいる片麻痺の方も全く同じとは限りません。
そこはご了承ください。
『片麻痺の気持ちはどこまで行っても本人にしかわからない』
が言いたいことです。
麻痺という特殊な状況だからこそ、本人にしかわからないことが多くあります。
あなたは麻痺と言われてなにを想像しますか?
私はポケモンやドラクエの「マヒ」といいうステータス異常を想像します。
(世代がバレますね・・・。)
ゲームなら、この「マヒ」という異常は薬を使えば秒で治ります。
しかし、リアルの世界だと、ほぼほぼ治癒不可能な超高難度な異常です。
このゲームのイメージが強いのも悪いのかわかりませんが、
「麻痺になった」と言って、無意識に「すぐ治る」というイメージがあることが麻痺という状態があまり浸透していない状況につながっている気もしています。
実際に麻痺を受傷すると、その人の世界はかなり変わります。
そして、それは人の想像の域を余裕で超えてきます。
要は、左片麻痺なら、「左側が使えないんでしょ」程度に考えられることはとても心外であるということです。
もちろん左側が使えないということは合っているけど、それだけではないということを理解して欲しいです。
重要なので繰り返します。
そう。当人じゃないから難しいのはわかっているけど、理解して欲しいんです。
麻痺という特殊すぎる状況だからこそ、とても伝わらない状況だからこそ、理解してほしい。軽んじないでほしい。
絶対に伝わらないこの状況を理解してほしいんです。
矛盾ですよね。絶対に伝わらないのに、わかってほしい。
理解してほしいからこそ、同じ渦中にいる当事者の言葉は良く響きます。
その難しさを知るセラピストは信頼できます。
なぜなら多少の違いはあれど、この世の誰よりもその難しさを理解しているのは当人だから。
動かないことで、どう生きていくかは日々日々自分で馬鹿みたいに考えています。
というか、常に考えています。
じゃあなにを理解しろというのか?
なにを理解して欲しいかというと、麻痺という難しい状態に対しての「絶望」を理解して欲しいんです。
逆に聞きますが、麻痺になった人生を考えたことがありますか?
麻痺したら、家族が、恋人が、生活が、友人との関係がどうなるか考えた上で「片側が使えないんでしょ」という言い方をしていますか?
当人はそのようなことを全て考えた上で、絶望しています。それでも、その上で前を向き、生きています。
重いと思うかもしれませんが、そういう細かいリアルや絶望を考えて、それらを想像した上で、「片方が使えないだけでしょ?」と言うことの言葉の軽さがわかりますか?
私はそんな簡単な一言で済ませられるようなことではないと思います。
例えば、私は「半身不随」と「片麻痺」は違うと思っています。
こう思う理由はやはり"わかってほしい"という気持ちからです。
多くの人が思う、半身不随は片麻痺ではなく下半身不随の車椅子の方のイメージではないでしょうか?
この場合、ここで既に"わかってほしい"からずれてしまいます。
なぜなら、下半身不随の人の苦しさもあると思いますが、片麻痺の苦しさもあるからです。
しかも、その苦しさは全く違うと思います。
安易に考えて、勘違いした人が「上半身だけ動くならなんとかなるでしょ」と思われては困るわけです。
医学上は確かに半身不随で間違いではありませんが、それだけで当人の思いが十分に伝わるとは私は思わないので、私は「半身不随」と「片麻痺」は違うと思っています。
頑張って言語化してみましたが、
結局は、「当人にしかわからないということがあまりに多い。」ということと
「わかってほしいけど絶対伝わらない」と言う矛盾に悩まされています。
それに加えてみんながここまで深く考える必要がないという部分もあるような気がしています。
正直、まだまだ言いたいことはたくさんありますが、長くなりそうなので、今回はこの辺までにします。
また、このへんは人によっても見解が全然違ってくると思うのであくまで私の意見として、読んでもらえると幸いです。
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