片麻痺の自分が存在する意味


どうも!
自然とよく使うものが右側に集まってくる横山です。
#意図して集めているわけではないよ。
#使うもの、そうでないものがいつ間にか明確化される不思議
#意外にこれよく使うんだと認識することも多い


さて、今回は私が日々思考しているどーでも良いことについてです。
タイトルを見ると重いテーマかなと思うかもしれないですが、
軽い気持ちで読んでもらえると嬉しいです。

タイトルをもう少し具体的にします。
「麻痺した方なら絶対に通る、未来への絶望について」というテーマです。
私の場合、脳卒中になりました。そして、それを理解(自覚)して、あれもできない。これもできない。と考えれば考えるほどその時は絶望しました。

で結論、「あーお先真っ暗だー。」と自分に強く強く思い込ませました。
その思いは「なんで生きているんだろう?」という最悪の疑問まで行きつきました。

■病気への怒り


だって発症した10人に1人は死ぬ病気なんだよ?(なんで殺してくれなかったんだ!)
なんで、こんなに辛い思いをしてまで、私は生きているんだろう?(なんのために生きているんだ!)

と本気で考えていました。
みなさんがどうかはわからないですが、私はこういうことを割と真面目に長いこと考えていました。

この疑問に対して時間が経った今、思うことを書きます。

■生きていることに意味を求めてはいけないし、生きているからできることがある。


前提、「居ない方が良いことはないです。」
いつなんどき、どんな状況でも、あなたがそこに居なくてよかったということはありません。
そう思う人もいません。
身体が不自由で、自分が邪魔だろうなと思うかもしれません。
自分がいない方がこの場はうまくだろうなと思うしれません。
でも、そこにあなたがいることで、起きている良いこともあります。
例えば、あなたがいることで周りの人は障害者と接する経験を持てる。
いや、周りが持ちくないかもしれないじゃないか!と思いますか?
では、あなたは、足をケガしてうまく歩けない人を見て邪魔と思いますか?
思わないですよね?(多くの人は思わないと思います。)

残念な事実ですが、まだこの世の中は障害者を腫れ物扱いしている感が否めません。
(日本の障害者の割合7.2%:936万人)

そんな普通に生活していたら、なかなか経験できない経験をあなたがいることで周りの人はできています。

このことは別に障害にだけ当てはまる事ではありません。
あなたが希少であればあるほど、周りの人も貴重な経験をできています。

そしてこれは周りの人にとってはプラスのことでしかなく、
決してマイナスのことではありません。

■自分の価値を改めて考えてみよう



このように、最初はできないことばかりに目を向けがちで絶望すると思いますが、あなたがいる事で生まれている価値はとてつもない大きいものと知りましょう。

最初に戻りますが、未来のできないことばかり見て絶望することも良いですが、あなたがいる事で生まれている価値に目を向けることも忘れないようにしてください。
私はできないことや絶望に目を向け続けて、抑うつになりました。
抑うつやうつ病についてはまた別で記事を書きたいと思っているので、楽しみにしていてください。


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