障害という言い訳


どうも!!寒くなってきて、麻痺足がすごく動かしにくいと感じている横山です。
#寒いとこわばる
#感覚がないので気づかない
自信の状態を知る目的は改善のため。

病気になって入院して、退院する頃はもう自分の状態がある程度理解できている頃かと思います。この頃になると治してやるという気持ちが強くなって行きます。

そして色々調べられる人は調べ始めます。片麻痺とは?能卒中とは?麻痺とは?神経とは?

その道中で、自身の状態について病識というものが頭に入ります。

ただ、それはあくまで病識です。仕組みを知り、対策や改善をしうるための行為です。ここに大きな勘違いが生まれることが少なくないと考えています。

言い訳にすると楽なのは事実。

病気のせいにすることはものすごく楽です。特に障害受容できていない人にとっては。

例えば、記憶力が低下している人が記憶障害なんだよということは「自分の記憶力を認める必要もなく」、「記憶できないことを認める必要もない」ので、とても楽です。本来これは向き合えわなければならないことなのですが。とうか発症直後はこういう事項が多すぎてどれにどう向き合って良いかわからないのがリアルです。

そして、こう考えることで、病識が言い訳に転じてしまう場合があります。
こうだからこう。だからこそ、「麻痺を治せば全て良くなる!!」という幻想を持ってしまいます。だからこそ、ほぼ治らないと言われている麻痺の治癒に骨質してしまいす。その気持ちはすごくわかるのですが、そうなってしまうのは良くありません。病識は言い訳のためのものではありません。

知ることで同じ人への理解は深まる。

直近で、今のように俯瞰して自分を見るようなことができていない状態の自分と似た状況の人と会うことがありますが、気持ちがとてもわかるので、どう伝えたら良いかは試行錯誤しながら、接しています。こうしている理由は多くの人同じ状況にある可能性がり、自分がそれをうまく導けたらそれはすごく価値があることだと思うし、多く人の助けになると信じているからです。事実、自分もとても辛かったので。


コメントを残す