どうも!!マックで子供が席取りをさせられていて、子供が長い時間待たされている光景を見て日本だから通用する風景だなと感じてしまった横山です。
#海外だったら誘拐されてる。
#だからアプリを使えて。
#ガチでアプリなら並んで、注文して、自分で席まで持って行くの工程が2倍速になりますよ。
・障害受容について
さて、今回は「障害受容」のような話です。障害受容とは自身に障害があるということを認めることです。文字にすると簡単ですが、そこまで簡単な話ではない。
下記のyoutubeでも言っていますが、「受容できているかというとそんなことはない」というのは残念ながら一生付き纏うと思います。
障害を認めることは諦めることになるのか?
自分が障害者であることを認めることは治るという気持ちを諦める事になるのか?という少しややこしい話です。
なぜこう思うのか?
以前も「片麻痺とメンタル①」でお話ししたように、中途で障害を負うということは、とんでもなく理不尽な事です。
そんな急な理不尽に対して気持ちの整理もつけられぬまま、
自分に障害がある。でも、治らないし、
そもそも自分が障害者ということも認めたくない。
(いやそもそもなんでそんな急に?)
という気持ちが出るのは結構当たり前の感情だと思います。
今回はこの際の折り合いの付け方につい話そうと思います。
・切り替えのスピード
まず、この問題については、なかなか先に進めない人とそういうひとからは考えられないスピードで切り替えて前を向いている人がいます。
安心してください。私はなかなか前に進めなかったタイプの方です。
だからこそ、切り替えられている人にめちゃくちゃヒアリングしたり、どうしたらうまいこと折り合いをつけれるか、結構悩んでいました。
結論はタイトルの通りで、自分が障害者と認める=障害受容ではないです。
中学から、高校・大学と体育会運動部にいた私は「弱い考え」を認めることがなかなかできずにいました。
麻痺を治したいのに、「自分が身体障害があることを認めるなんて、治らないことを認めることじゃないか。そんなこと絶対できない。」
日本人は根性論を好むタイプが多いような気もしています。
根性論は考えなくてよく、指針もすぐ決まるので正直楽です。(いわゆる思考停止というやつ)
「我慢さえしていれば良い。」ということが多いように思います。
ある意味では今まで長いことしてこなったこと&自分がこの人優秀だと思う人が日々こ行っている「考えること」をしなければならなくなった事については感謝さえしています。
どういうことかというと、
例えば、気合でベンチプレスを10回やるというわかりやすい話ではなく、なぜ、ベンチプレスを10回もなんのためにやるのか?なぜこの重さでやるのか?を考える必要があるということを教えてくれたからです。
・認めることから始まるという罠
今の例でわかるように、自分が弱い、できないことを認めることはできるようになるための過程で必須です。
例えば、ホームランを打つために自分には何が必要なのかを知るには自分の状況を把握する必要があります筋力は足りているのか?道具は揃っているのか?フォームは正しいのか?
もうお分かりだと思います。直したいという気持ちが強いなら、自分の弱さを認めるべきです。この過程は必須です。
・認めることが一歩目
このロジックが自分が身体障害者と認めることは、諦めることではないという理由です。
むしろ治すために必要な考え方という捉え方をしていただけるとありがたいです。
コメントを残す